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2013.08.20

鹿児島


第三弾です。

枕崎市は、鹿児島県の薩摩半島南西部に位置し、東シナ海に面する市。漁業が盛んで、特にかつおの水揚げで有名。

昭和20年、沖縄決戦へと向かう戦艦大和を旗艦とする第二艦隊は、米軍との死闘の末、200km沖合の東シナ海に撃沈した。

沈没地点の至近距離にある枕崎市では、2005年(平成 7年)その供養と平和への願いを込めて、

火の神公園内に平和祈念展望台を建立しました。


平和記念公園1変更済 (2)

 (1)                              「平和記念展望台」
          英霊慎む沖縄海戦しのびつゝ
            火の神の丘に大和艦碑建つ

            枕崎の西南の海渡り来る
             わたつみの雄叫びか潮騒かなしゑ

平和記念公園2変更済

 (2)                     「 大和全力公試航海中の写真」 (ネットよりお借りしました)

   大和が動いているところを撮影したフィルムは一つもないそうです。
   全て写真でしか知り得ない大和の姿なのです。

   大東亜戦争末期の、昭和20年4月7日14時23分
   戦艦大和を旗艦とする第二艦隊が沖縄決戦へ向かう途中、米軍機と死闘の末、鹿児島・坊ノ岬沖 に沈んだ。

平和記念公園3-1変更済平和記念公園3-2変更済

(3-1)   「第二艦隊沈没地点」
戦艦大和、巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風、濱風、霞、朝霜 6隻の戦艦
                                  (3-2) 波涛しずまる枕崎
                                        ともしび灯る枕崎
  
                                        再び還りませ枕崎
                                         待ちわびる
                                           遺族のあることを                   ( クリックすると大きくなります)
平和記念公園4変更済

 (4)                67年の歳月が流れた、今、海は、波静か・・・。

        日本海軍の栄光をになうべく誕生し、
        やがてその滅亡の象徴となった戦艦大和は、3721名の尊い、若き命と共に、
         今、九州沖の海底深く眠りつづけている。
平和記念公園5変更済

 (5)    戦艦大和が沈んだ、遠い海の彼方に、枕崎から、思いを馳せる。

             天網恢恢疎にして漏らさず
 
                 国の為 命惜しまず
                  みごと散る
                勇士達は 桜花の如し
                            
平和記念公園6-1変更済平和記念公園6-2変更済

  (6-1) 『殉難鎮魂之碑/戦艦大和などの御霊に捧ぐ』
                                         (6-2) 『女神像』


映画『男たちの大和 YAMATO』 


アニメ『宇宙戦艦ヤマト』が1974年から、読売テレビで、放映されたが、
戦艦大和の遂げられなかった思いから、このアニメが後に作られたともいわれている。

宇宙戦艦になり地球を放射能汚染から救い、最後は愛する人とともに特攻し命果てる。

昨年、鹿児島シリーズで、アップしましたが、再度手を加えて、再アップしました。

枕崎市は、”カツオラーメン”が、有名との事。

今回を持ちまして、「思いを馳せて」シリーズは、終了です。       ( 2012年5月3日撮影)

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2013.08.17

鹿児島


第二弾です。昨年、鹿児島シリーズでアップ済みですが、再度手を加えて、再アップしました。


富屋食堂1変更済

(1)          知覧の特攻隊員から「おかあさん」と呼ばれた、鳥濱トメさん。(写真はネットよりお借りしました)

            知覧特攻基地が特に有名なのは、このトメさんのご尽力のたまものなのです。

            そして、特攻の母と呼ばれ、前回紹介した、平和観音堂の建立にもご尽力された。                                        

富屋食堂2変更済

 (2)                 富屋食堂を開業したのは、昭和4年の事でした。

                    大東亜戦争末期、「富屋食堂」は帝国陸軍指定食堂となり、

                    そのために沢山の特攻隊員が訪れるようになったのです。
 
                    そんな隊員たちを我が子のように可愛がりました。

富屋食堂3変更済

(3)                鳥濱トメさんが知覧で、戦時中、営まれていた【富屋食堂】が、
  
                     映画『ホタル』の時に再建され、現在は資料館です。

                     「ホタル館」とも呼ばれています。

富屋食堂5変更済

 (4)                     開聞岳(カイモンダケ) (薩摩富士と呼ばれているほど、美しい)

         知覧飛行場を発進した特攻機は,機首を開聞岳に向けて一周して、南海の空に消えて行った。

富屋食堂6変更済
 (5)                「宮川三郎少尉」(20才)    (写真はネットよりお借りしました)

1945年6月、出撃の前夜、特攻隊員の宮川軍曹は『小母ちゃん、死んだら、また小母ちゃんのところへ、

明日の夜9時頃、ホタルとなって戻ってくる、その時は同期の桜を歌って欲しい』と

鳥濱トメさんに言い残して、鹿児島県知覧基地から出撃していった。

ところが次の夜9時頃に、トメさんの家に、本当に一匹のホタルが入ってきたのです。

で、トメさんが『皆さん、このホタルは宮川サブちゃんですよ』と言ったら、

『本当かね?おばさん』といって、みんなで“同期の桜”を歌いました…』

富屋食堂7変更済

 (6)  この逸話が元で、この映画が作られた。 (写真はネットよりお借りしました)
   
   元特攻隊員と、病に冒され余命いくばくもない妻との夫婦愛。

   昭和の終わりを背景として描いた、高倉健主演の映画。

富屋食堂8変更済

 (7)  『俺は、君のためにこそ死ににいく』は、 (写真はネットよりお借りしました)

    2007年5月12日に公開された日本映画作品。総制作費18億円。

    石原都慎太郎元都知事は、生前の鳥濱トメさんと交流があり、
    この映画の製作・脚本を手がけています。

    都知事に寄る脚本は、彼女が生前のこした貴重な証言に忠実に描いています。

    祖国の歌「アリラン」を最後に歌って、堂々と飛び立っていった青年から、

    わずか10代で太平洋の藻屑と散った少年まで、実話ならではの重さが胸を打ちます。

富屋食堂9変更済

  (8)                      映画『俺はきみのためにこそ死にいく』の記念碑
       富屋食堂近くにあります。

富屋食堂4変更済変更済

(9)     戦後、トメさんは、富屋旅館の離れにある、当時特攻隊員さん達が訪れてた部屋で、
     平和の語り部として『戦争はね、あってはならないのですよ』と隊員さん達とのエピソードを交えながら語り、。
     平成4年4月22日、桜が散ってしまったあと、89歳でこの世を去りました。


映画『俺はきみのためにこそ死ににいく』



以上、内容が盛りだくさんになってしまいました。

「富屋食堂」から、徒歩で、100m程行った先に、前回ご紹介した、「知覧麓の武家屋敷群」の出発点があります。
                                               (2012年5月3日撮影)
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2013.08.15

鹿児島


今日、8月15日は、68回目の「終戦記念日」です。

そこで、昨年、鹿児島シリーズでアップ済みですが、再度手を加えて、再アップしました。

昨年の5月3日、「第58回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に参加するために、南九州市知覧へ行きました。

今回、鹿児島へ行ったのは、この慰霊祭に参加するためでした。

知人の鹿児島の方達が案内し、歓待してくれました。他にも関東から、数名参加。

慰霊式に参加する前に「知覧特攻平和会館」を見学。

この会館には、若い人を始め、沢山の人たちが訪れていました。

あの大戦の沖縄戦で、この知覧から、20歳前後の若い隊員達が、出撃しました。

沖縄戦で、特攻戦死された方達は、1036名になるそうです。

隊員達の達筆な手紙、遺書の知識の高さ。

写真に映っている、彼らの死に行く前の表情の屈託なさ、笑顔を、涙なしには、見る事が出来ませんでした。
生きていて欲しかったです。

小泉元総理も、以前、ここを訪れて、「号泣した」と話していましたね。


知覧1変更済

(1)                           「知覧特攻平和観音堂」

     「知覧特攻平和会館」の隣に建っていて、こちらで慰霊祭が行なわれました。

      献花の前に、献詠がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     母ともなり 姉ともなりて 励げましむ 出陣送る 基地の朝露
                    第六十振武隊 永田 利夫少尉に贈る 大 津 冨 子

     押さえても うきくるものゝ はげしさよ 只玉砕と 散らむうれしさよ
                    誠第三十六飛行隊  峰  保昌少尉

     雲を裂き  地を擡(くり)かなむ 年明けぬ
                     第百十四飛行隊   矢作 一郎大尉

     先がけし  友に後れし  我もまた死して永久に 皇國護らん
                      第四十二振武隊   猫橘 芳朗大尉
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     朗朗と響き渡るお声で、朗詠されるのを聞いて、
     私はハンカチを握りしめ、溢れるでる涙を拭っていました。


知覧2変更済

 (2)              「とこしへに像」 (特攻銅像)  制作 日展審査員 伊藤五百亀氏
          
           ”み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
 
             りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
 
              ああ、開聞の南に消えた勇士よ”


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 (3)                 「やすらかに像」 (母の像)    前田 将氏

            ”特攻隊の若い命は、再び帰らず。
                
             出陣の時間まで求めたであろう母の姿。
                
             この晴れ姿をせめて母上に最後の別れを、お礼を一言。
   
             胸も張り裂けそうな、その心情は母もまた同じであったろう
                
              今ここに立つ母の姿"


知覧6変更済

(4)                                           「開聞岳 (薩摩富士)」  
        薩摩富士と言われるほど、美しい姿です。

      地元の人曰く、「山の頂上に雲が掛かっている事は、滅多に見られない」との事でした

知覧4変更済

(5)                            「一式戦闘機「隼」(はやぶさ)」

        大東亜戦争において、陸軍の主力戦闘機として活躍した
         一式戦闘機「隼」Ⅲ型甲をモデルに、当時の資料や少飛会の姿見を取り入れて、忠実に復元製作され、
         映画『俺は君のためにこそ死ににいく』で実際の撮影に使用された「隼」を展示。

        「隼」は当時知覧の特攻基地からは、九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。

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  (6)                         「三角兵舎」

         三角兵舎は特攻隊員の宿舎であり、敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、
         屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してあつた。

         各地から集まった隊員はニ~三日後には雲のかなた沖縄の空に散華され、

         出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲みかわしながら隊歌をうたい、
         薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征った。

息子を、見送った母の心は、いかばかりであったか?

この方達の尊い犠牲の上に、今の平和な日本があることを、もう一度、噛みしめねばならないと思います。

「花火」をアップする予定でしたが、「終戦記念日」でしたので、急遽、こちらをアップしました。  (2012年5月3日撮影)
続きます。

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2013.07.06

鹿児島


知覧麓の武家屋敷群、第三弾です。

知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本場通りに沿って連なる

石垣と生垣からなる景観にも優れ、日本にとっても、その価値は高いです。

知覧の港が江戸時代に、琉球(沖縄)貿易の拠点であったことから、

武家屋敷にも琉球の影響を多く受けているようです。

知覧麓武家屋敷群3(1)変更済

  (1)                                     「門」
      ここの家は見学は、出来なかったけど、歴史を感じる門で、5月5日の「端午の節句」の祭日故
      日の丸が掲げてありました。
知覧麓武家屋敷群3(2-1変更済知覧麓武家屋敷群3(2-2変更済

 (2-1) 前々回にご紹介した、「西郷恵一郎邸」の部屋に飾ってあった甲冑。家紋は鹿児島藩主・島津家の家紋
  (2-2)  この甲冑を着て、希望者は、記念撮影をすることが出来ました。

知覧麓武家屋敷群3(3変更済

(3)                                「佐多民子庭園」
    巨石巨岩を積み重ねて、深山幽谷の景をうつしだし、小舟に乗って石橋の下を潜って行くと、
   仙人が岩の上から手招きをしているよう。(枯山水式)

知覧麓武家屋敷群3(4変更済

(4)   生垣と共に石垣が、実に見事です。(他の石垣と違っていました)


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(5)                                      「佐多直忠庭園」
     ”母が岳”を望む庭の一隅に築山を設けて、その中心部に、3.5mの立山がそびえ、
     下部には、多数の石組みを配して枯滝としている。
     何か大陸的で、一幅のの水墨画をそのままに現わした名園。(枯山水式)

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(6)                               「庭園通り」
      新緑が、緑一色ではなく、まるで秋の紅葉のように、色とりどりで、
      これほど見事な新緑は、かって見たことなかった。

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(7)                                「珈琲店」
      石垣を上手く使ってのディスプレィが素晴らしく、目を惹いた。

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(8)                             「森重堅庭園」
     最後7番目の庭園で、唯一池泉式庭園で、池には大小の鯉が泳いでいました。
     曲線に富んだ池には奇岩怪岩を用いて近景の山や半島を表わし、
     対岸には洞窟を表現した穴石を用いて水の源道を象徴しています。

以上を持って、3回に渡って、お送りしました、「知覧麓の武家屋敷群」は終了しました。

いつも、いつもお付き合いを有り難うございます。            (2012年5月5日撮影)

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2013.07.04

鹿児島


昨年の5月連休に鹿児島を訪れました。

それ以来、鹿児島シリーズを13回まで、アップしたけど、途中で、秋・冬と季節感もあり、休止していました。
で、まだ終了していないので、再開です。

「知覧武家屋敷」は江戸の雰囲気を今に伝える数少ない貴重な町並みの一つです。

母ヶ岳の優雅な姿を取り入れて,麓一帯を庭園化した美しい町並みで,「薩摩の小京都」とたたえられています。
生け垣と石垣が美しい武家屋敷です。

武家屋敷群の18.6haが、昭和56年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され,
7庭園は国の「名勝」に指定されています。
前回、この7庭園の内、3庭園をご紹介しました。後4庭園残っていますが、

その前にこの武家屋敷群の中に、「知覧型二つ家」の家がありますので、今回、ご紹介します。


知覧麓の武家屋敷群2(1)変更済

 (1)                               知覧型二ツ家(休憩所)
   特に知覧に見られる二つ家は、二つの屋根の間に小棟をおいてつなぎとした造りです。
  その民家建築文化の上からも貴重なものとされています。

知覧麓の武家屋敷群2(2)変更済

(2)        「1セット 200円なり」
    ここは休憩所になっていて、知覧茶と、きなこをかけた”あくまき”を食べたけど、とても美味しかったです(^-^)   知覧茶は、新茶で、緑色の綺麗な色をしていて、美味しく、それ以後,時々購入しています。
    "あくまき"は、5月節句の”ちまき"です。桜島の火山灰にお米をつけるので、このような色になります。
      (参考に、写真はネットからお借りしました。)

知覧麓の武家屋敷群2(3)変更済

 (3)                              「居間」
    写真・向かって、右(二重橋) 中央(昭和天皇・皇后陛下) 左???

知覧麓の武家屋敷群2(4-1)変更済知覧麓の武家屋敷群2(4-2)変更済

(4-1)   市役所の職員が、休日返上して、ここに詰めていました。
(4-2)   引き戸の開け方を説明。角で、くるっと方向転換出来るように、機能的に考案されていました。

知覧麓の武家屋敷群2(5)変更済

(5)                          知覧型二ツ家(旧高城家住宅)
      旧高城家住宅は、明治以前に建てられた武家住宅であり、
     「男玄関」と「女玄関」の二つがある特徴を持っています。

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(6)                                 「男玄関」
このように玄関が別れているけど、男尊女卑という差別というよりも分をわきまえる、というか役割分担、身分制度のようなものだったそうです。ただ薩摩は他所に比べて士族の比率が異常に高かったとの事です。

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(7)                                   「女玄関」
士族の比率が異常に高かったというのは、だからこそ、優秀な武士も多く、維新での沢山の元勲たちを輩出し、武家のご婦人方の教育も薩摩では、しっかり教育されていたこその、子息の教育もしっかりされての、数多くの元勲の輩出につながったのかもしれません。

知覧麓の武家屋敷群2(8)変更済

(8)                                   「居間」


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(9)                                   「武家屋敷通り」
    正面に見えるのが、母が岳。新緑が目に眩しい、素晴らしい所でした。

知覧から、鹿児島市内に向かう、車窓から、知覧茶のお茶畑が、海岸沿いに、果てしなく続いていました。
凄い規模でした。
私は狹山茶の産地は見たことあるけど、その規模は雲泥の差ですね。

次回も鹿児島シリーズは続きます。                    (2012年5月5日撮影)

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プロフィール

梅サクラ

Author:梅サクラ
写真で、日本の季節を捉えて、表現。
人物写真も好きです。
報道写真は、以前ある新聞社のクラブに入って勉強。
映画も良く観ます。映画は心の糧。
宜しくお願い致します。

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