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2013.10.30

東京


桜田門から、東京駅に移動しようと、交差点を渡って、地下鉄の駅近くまで、来たら、レンガ造りの建物が

目に飛び込んできました。そして、手前には、「警視庁」の建物が・・・。

刑事ドラマで、必ず目にする、建物ですよね。

建物前に、立っている警察官に「撮っても良いですか?」と声を掛けたら、「どうぞ」と言って、

「警視庁」の文字を指さしてくれました。

始めて訪れた辺りでした。

色々と、東京風景を紹介します。

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   (1)                                    「桔梗濠とビル群」
    東京タワーも顔を覗かしています。


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  (2)                 「さぁ~、皇居正門石橋(二重橋)へ」
    外国人の人達も、歩いていました。
    正面に見えるのは、”パレスホテル東京”

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   (3)                                      「桜田濠と都会の夕景」    
     左奥に見える三角屋根は、”国会議事堂”


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 (4-1)  刑事ドラマでお馴染みの”警視庁”
 (4-2)  桜田門の前にあるので、警視庁の事を”桜田門”とも言われるとの事。


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(5)                                      「法務省1」

     煉瓦造りの、素敵な建物でした。

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(6)                                      「法務省2」



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(7-1)   「KITTE(キッテ)」。
日本郵便が初めて手がける商業施設です。
「KITTE」というネーミングは、「切手」と「来て」2つの言葉に由来します。

(7-2)  灯りの灯った聳えるビルを見上げると、まるで”不夜城” (東京駅にて)
        手持ち撮影のため、割り引いてご覧下さい。


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(8-1)  「三菱1号館」cafeの入り口
(8-2)   「CAFE1894」
       お茶したいと思って、中に入ったけど、団体予約客が見えるので、満席と断わられました

                              以上(2013年10月10日撮影)


(以下は蔵出しです)

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(9-1) (9-2)   「大黒天 経王寺 山門の銃弾の痕

      上野戦争は、江戸上野(東京都台東区)において彰義隊ら旧幕府軍と
薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いですが、
      その時に、「大黒天 経王寺」が敗走した、彰義隊士を匿ったために、
新政府群より攻撃を受けた銃弾の痕。

上野戦争(うえのせんそう、慶応4年5月15日(1868年7月4日))は、戊辰戦争の戦闘の1つ。



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(10)                           「神楽坂のあるお店ののれん」



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(11)  他のお店で、外で待つときの寒さのために、膝掛けが用意されていました。
       さすが、日本の”お・も・て・な・し”の心でしょうか?


日本の首都東京は、超近代的な、ビル群のある所。

その反面、古い、昔ながらの佇まいの雰囲気を醸し出す所。それに歴史を感じさせる所もあります。

ある意味、混沌とした、魅力があるのかも知れませんね。

ほんの一部ですが、ご紹介しました。ご訪問有り難うございました。
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2013.10.28

皇居


日本に新たに着任することになった駐日大使は、天皇陛下に謁見に来られ、

信任状捧呈式(しんにんじょうほうていしき)が行なわれます。

信任状捧呈式とは、新駐日特命全権大使および公使が、派遣国の元首から託された信任状を天皇陛下に提出する儀式のことです。

そして、信任状捧呈式で送迎のために儀装馬車(ぎそうばしゃ)を使用する国は、

現在では日本の他、イギリス、オランダ、スペインなど、ごく一部の君主国に限られているそうです。

各国の大使達は、車で皇居まで乗り付けても良いのですが、多くの大使の方が、儀装馬車を望むそうです。

式終了後、儀装馬車によって新任の外国大使を、宮殿南車寄から、丸の内2丁目の明治生命館まで送迎します。
東京駅が、工事中のため・・・。


私は東御苑を大手門から、出て、二重橋に向かった時に、近回りをしようと思ったら、皇居警察官に遠回りするように指示され、
大使の馬車が通られることを知りました。

で、橋の近くで、多くの観光客が、並んで新任大使が出てくるのを待っているのに出会ったのです。

これは、このような事は、滅多にない、ラッキーとばかりに、胸が躍り、ワクワクしました。

大使の乗られた儀装馬車の復路の様子をご紹介します。


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 (1)                                 「皇居正門石橋」(奥に三つ目のの櫓の"伏見櫓”があります)
   通常、”二重橋"と呼ばれているけど、それは間違いで、この橋の奥の黒い鉄橋(正面鉄橋)が「二重橋」との事です。

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(2)                              馬車列先導警護する「警視庁騎馬隊」
    遂に登場しました。


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(3)                                   「大使の乗られる儀装馬車」



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(4)                                「大使随行員が乗られる馬車」



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(5)  大使婦人?がこちらに向かって、手を振られていました。




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(6)  揃って、明治生命館へ向かいます。



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(7) 皇居外苑を通過する馬車(石門の時の国の大使とは違う国の大使)



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(8) 皇居外苑を通過する馬車(石門の時の国の大使とは違う国の大使)
     この日は、2カ国の大使の式がありました。二重橋に向かうときに偶然出会ったのです。
    この日、馬車列は、2回往復したのですね。


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(9) 馬車列、素晴しい!!  感動でした。



『馬車列の練習風景』

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(10)                                  「警視庁騎馬隊」(婦人警官もいました。)
   実は、皇居東御苑の二の丸庭園で、写真を撮っていて、偶然であったのです。
二の丸庭園の写真撮影は、中止し、駆け足で、飛んできました。


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(11)                   「大使を乗せる馬車」・・・近くで撮る事が出来ました。
     さすが、お馬さんの毛並みは、良かったです。


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(12)                                   「随行員の馬車」



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(13)                                      「馬車列」
    5~6回、練習のために、廻っていました。
    でも、まさかこの後で、本番があるとは思っても見なかったのです。

    

    「平成24年 信任状捧呈式 英国全権大使」が明治生命館から、皇居に向かう様子です。
   
   
    結局、一日で、三回、馬車列に出会った事になりました。
    1度ある事は、2度あり、3度ある・・・諺(ことわざ)の通りになりました。
    このような事は滅多にないことですね。
    
    この馬車列には、大分前に、東京駅から、皇居へ向かうのを、偶然目にしたことがありました。
    今までに2度です。
    
    今回も出会ったのは、前に何方かが言われたけど「写真の神様」がついていたということでしょうか?

    ご訪問有り難うございました。

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2013.10.24

皇居東御苑


歴史シリーズNO3・江戸城に思いを馳せて第三弾です。

今回で、江戸城に思いを馳せては、終了となります。

説明などが、多くてご訪問下さった方は、とてもお疲れになった事と思います。

で、第三弾は、少しリラックスして、花々なども取り入れました。

今回の重要な遺構は、「桜田門」です。

そして、そこで起きた、衝撃的な、一大事件「桜田門外の変」は、

小説、ドラマ、映画などで、お馴染みだと思います。


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(1)                                  「本丸跡地」
    現在は、本丸跡地として、大きな芝生の広場になっています。
    本丸跡地の芝生で、訪れた人々が、思い思いに憩うていました。外国人の方も多かったです。


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(2-1)       「皇居正門石橋旧飾電灯」
     この電灯は、皇居正門石橋に明治21年から設置されていた飾電灯です。

(2-2)                                         「白鳥濠の石垣とススキ」

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(3)                                   「二の丸庭園1」
   江戸時代、二の丸には、小堀遠州が造り、三代将軍の徳川家光の命で改修されたと伝えられる
   庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。


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(4)                                      [二の丸庭園2」          
    現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当り、
   九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。


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(5)                                     「今と昔の光景」
     前回モノクロでアップした「百人番所」前です。



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(6)                                     「芙蓉とビル群1」  
    前回アップした「石室」の近くにひっそりと咲いていました。



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(7-1)         「芙蓉とビル群2」
(7-2)                                       「芙蓉とビル群3」 


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(8)                                   「ひっそりと」



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(9)               「大手門を潜って、現実の世界へ・・・」



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(10)                           白鳥が一羽、見送ってくれました。


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(11)                            「桜田門渡櫓門(さくらだもんわたりやぐらもん)」」
     
     桜田門は寛永13年(1636年)に徳川家康が入府際に修築されました。
     桜田門は、第一の門(高麗門)と第二の門(渡櫓門)の二つの門からなっている。
     

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(12)                             「桜田門高麗門(さくらだもんこうらいもん)」

    現存している城門の中では最も広い 規模。大正12年の関東大震災で破損し、
    その際に鉄網土蔵造りに改修された。昭和36年、国の重要文化財に指定された。
     
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(13)                       
                                      「桜田門外の変」(絵はネットからお借りしました)
      安政7年(1860)3月3日、勅許なく安政の仮条約に調印し、
      安政の大獄などで弾圧を行った大老井伊直弼(いいなおすけ)が、
      水戸・薩摩(さつま)の浪士らに桜田門外で暗殺された事件。
          桜田門と彦根藩邸の距離は600m。


以上です。                            (2013年10月10日撮影)

で、前回、天守閣再建について、説明不足の所があったので、誤解を招いた所もあったようです。

『「江戸城天守を再建する会」という、認定NPO法人の民間団体があります。
一切の政治的、資金的、思想・宗教的バックを持たず、純粋な一民間団体。

この会は、平成18年に設立され、今年で5年目を迎えています。
オリンピックが開催される事が決定した前から活動を始めていました。

会員は、平成25年5月現在で、約3000名。お城ファン、歴史ファンだけではなく、
日本や東京の活性化という面で関心を持たれている方も数多くいるそうです。

会長は、あの江戸城を造られた、大田道灌の第18代子孫に当たる、太田資暁。

費用は、税金を使うのではなく、協賛企業や個人から寄付金を募る・・・との事です。

また工事にあたる宮大工は、全国に200人くらいはいるけど、その人達は仕事がないので困っている。
もし江戸城天守が再建されるとなれば、全国から、宮大工の皆さんが馳せ参じる。
そうした宮大工の人たちの伝統的な技術を後世に伝承するという意味にもなる。

問題は、宮内庁の許可がおりるか?など、難しい問題があるけど、世論に掛っているとの事。
2012年から署名運動を始め、初年度は7000人の署名が集まる。2013年の目標は1万人。
その後、3万・5万・10万と増やしていきたいとの事。

この天守台を訪れた外国人から、しばしば、「どうして、ここにタワー(天守閣)がないのか?」と聞かれる。』  
(「江戸城天守を再建する会」のHPより抜粋)

江戸城再建のQ&A
疑問に対して、詳しい答えが載っています。興味がある方は、こちらを読んで頂きたい。

なんだか、どっぷりと、関わってしまいました。でも、色々と勉強になり、知識が増えました。

最後まで、お付き合い下さいまして、本当に有り難うございました。

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2013.10.22

皇居東御苑


歴史シリーズ第三弾、江戸城に思いを馳せての②です。

皇居東御苑の[出入門]は、大手門・平川門・北桔橋門(きたはねばしもん)の3箇所になります。

特に予約などは必要ありませんが、門で「札」をもらって入ります。

帰り門を出るときにその「札」を返しますので失くさないようにしてください。

「出入門」であれば、入った門でなくても出られます。

●問い合わせ先:宮内庁 管理課参観係
      (火~木)    03-3213-1111(代表)内線3621
      (土・日・祝日) 03-3213-2050

では、園内の先に進みましょう。


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  (1)                                     「天守閣跡」

    江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代に建設され完成しました。
    その後、たびたび修築され、三代将軍家光の代に、
    江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。

    天守閣は、地上からの高さは58mあり、
    天守閣の基礎石積みは、44メートル四方、高さ18メートルで、
    その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。
 
    しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。
    城下の復興を優先すべきとの、家光の弟で、初代会津藩主の保科正之の提言によります。
  

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(2)                                     「天守台の石垣」   
     基礎石である石垣だけが残っています。
     現在の石垣の高さは約10m。
     天守台の石垣の石切は、四方すべてが整然として、さすが、他の石垣とは、違いますね。


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(3)                                   「桃華楽堂(とうかがくどう)」
   江戸時代ではないけど、「天守台」の右側にありますので・・・。
   桃華楽堂は、昭和41年2月に完成した、”音楽堂”で、
   音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう)陛下の還暦記念として建設されました。

  「桃華」の由来は、香淳皇后陛下のお誕生日が三月なので桃の節句にちなんで桃とし、
   華の字形は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されました。

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(4)                  「香淳皇后陛下」 (お写真はネットよりお借りしました)
    
     昭和天皇陛下の皇后で、今上陛下の母君。



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(5)                                     「本丸の跡」

    本丸地区は、江戸城の中心をなし、周囲に石垣と濠をめぐらした高台で、
    約13万平方メートル(約4万坪)と最も広い場所です。
    江戸城は、天正18年(1590年)の徳川家康入城以来、秀忠、家光の三代にわたって完成されたのですが、
    その当時の本丸の建物は”表・中奥・大奥”からなる壮大豪華な殿舎(面積約一万一千坪)が所せましとたちならんでいました。
    現在は、本丸跡地として、大きな芝生の広場になっています。
    芝生の彼方に、現代のビル群が、立ち並んでいるます。
  
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(6)                                    「石室(いしむろ)」
    抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、
    非常の際の、大奥用の調度などを納めたところと考えられます。
    内部の広さは、20平方メートル。

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(7)                               「松の大廊下跡(まつのおおろうかあと)」
    『殿!殿中でござる!
    
    廊下に沿った襖戸(ふすまど)に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから
   「松の大廊下」と呼ばれていました。江戸城で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。

   今は、松の木があって、江戸時代の面影はないけど、ここに立つと、感慨深いものがありました。

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(8)                       「松の廊下刃傷事件の絵」(ネットからお借りしました)
    「忠臣蔵」でおなじみの元禄14年(1701年)3月14日
    赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が殿中で
    吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなか)への刃傷事件(にんじょうじけん)を起こした場所です。


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(9)                      「富士見櫓」
    
江戸城旧本丸の東南隅に位置する「富士見櫓」で、将軍が、品川の海や富士山をご覧になったといわれています。
現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。
天守閣が明暦3年(1657年)の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。

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(10)                                「大番所(おおばんしょ)」
    
     中之門の内側に設けられ他の番所より格上で,位の高い与力,同心が詰めて警護にあたっていたところです。

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(11)                           「本丸中之門石垣(ほまるなかのもんいしがき」
     現在の中之門は万治元年(1658年)に熊本藩主 細川綱利により再構築された。
     本丸中之門石垣の築石は、35トン前後の重量を持つ、江戸城内でも最大級の巨石が使用され、布積みという技法で積まれています。
     また、この中之門石垣には、本丸御殿への登城口として渡櫓門が配置されていました。

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(12)                                    「白い芙蓉」
    ピンクの芙蓉の中に、白い芙蓉も綺麗に咲いていました。



江戸城遺跡の中心的な所を、ご紹介しました。各説明は「皇居参観ガイド」その他を参考にしています。                                                (2013年10月10日撮影)


ところで、2020年の東京オリンピック開催が決定したことで、「江戸城天守閣」再建の話が出ているそうです。

『「ロンドンはバッキンガム宮殿、北京は紫禁城、パリは凱旋門。世界の都市には、必ずその国の歴史や文化を代表する建造物がある。しかし、東京には……。

「2020年、東京五輪には内外から約1千万人が来訪するといわれています。ですが、東京には日本の歴史や文化を誇る建造物がない。今こそ、日本一壮大で美しい城だった江戸城天守を再建する好機です」

こう力説するのは認定NPO法人江戸城天守を再建する会理事長の小竹直隆氏.

再建費用は、総木造で忠実に復元すると400億~500億円かかる。 巨費を投じることに批判もある。

作家で『江戸城を歩く』などの著書のある黒田涼さんはこう語る。

「経済面だけではなく、精神面での効果もあります。各地のお城は、全国で郷土の誇りになっています。首都・東京の江戸城天守は、日本人の誇りと精神性のシンボルとなりえます」』    (週間朝日より)


皆さんは、いかが思いますか?

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次回に続きます。

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2013.10.20

皇居東御苑


歴史シリーズ、第三弾です。今回は、江戸城です。

1603年に征夷大将軍に任官した、徳川家康が武家政権を創設した。

江戸(現:東京)に本拠を置いたので、江戸幕府と呼ばれ、または、徳川幕府とも呼ばれます。


徳川将軍が実質的に日本を支配した、この260年あまりの期間を一般に「江戸時代」と呼びます。

江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城です。

近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、日本最大の面積の城郭になった

徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となります。

1867年(慶応3)、15代将軍慶喜は大政を奉還。

明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)となり、

以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっています。

その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の『跡』は、皇居東御苑として開放されています。(wikiその他)


そこで、江戸城に思いを馳せて、皇居東御苑を訪れました。入園料は無料。(月)・(金)お休み。

今回で、3回目ですが、撮影目的で、訪れたのは、始めてでした。

皇居東御苑の地図


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(1)                           「江戸城のシンボル・巽櫓(たつみやぐら)と桔梗濠」
   
     桜田櫓とも巽櫓ともいわれ、倉庫や、防御の役割を持った建物。
     江戸城にはこのような二層または三層の櫓が19基あったとの事、
     今ではこの櫓の他に、富士見櫓・伏見櫓の三基が残っているだけです。
     この櫓の左手に桔梗門があります。


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(2)                                      「大手高麗門」
     旧江戸城の正門・・・江戸時代、諸大名は、ここから登城しました。



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(3)                                      「大手渡櫓門」



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(4-1)  「旧大手門渡櫓の鯱(しゃち)」
      1945年(昭和20年)4月 戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱
(4-2)   現代飾られている鯱
                                 クリックすると大きくなります。

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(5)                                       「同心番所(どうしんばんしょ)」

    「番所」とは、警備の詰所のことで、この同心番所と百人番所、大番所の3つが残っています。
      城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていた。
    江戸城の正門であった大手門から入城した大名が最初に通る番所で,
      与力,同心が詰めて警護にあたっていたところ。
      主として登城する大名の供の監視に当たっていた。  (時代を感じる様に、モノクロにしてみました)

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(6)                                       「百人番所(ひゃくにんばんしょ)」
     江戸城の正門だった大手門から,本丸に入るときの最大の検問所で、
     大手三之門の前に設けられたのがこの百人番所。
     甲賀組,根来(ねごろ)組,伊賀組,二十五騎組の4組が昼夜交代で護りを固めていた。
     各組には,同心百人ずつが配属されていたところから百人番所の名が生まれた。

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(7)                                        「石垣」
     浜松城の石の原型を止めていた、石垣と違って、石が四角型になっています。



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(8)                                        「白鳥濠」
     白鳥はいず、なぜか?白鷺?が、一羽、石垣のほとりに、佇んでいました。



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(9)                         「芙蓉」
     芙蓉が、綺麗に咲いていました。

 
浜松城がアップされたら、江戸城でしょうと、江戸城の面影残る、ここを訪れました。

沢山の人達が訪れていたけど、半分は外国人の方達でした。

で、「旧大手門渡櫓の鯱」のところで、英語で声を掛けられました。

スマホで、シャッターを押して下さい・・・との事。

いきなりなので、ドギマギしてしまいました。でも、何とか撮れたら、感謝して、立ち去りました。

チャイニーズ系かもと思います。                 (2013年10月10日撮影)

アップするのに、延6時間位掛りました。 調べるのが大変でした。

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2013.10.16

浜松市


静岡県、浜松市は、カワイ ・ヤマハetcのピアノ製造をしている街として、有名です。

今回は、気分新たに、浜松市にある、「浜松楽器博物館」をご紹介します。

1995年4月に日本で初めての公立楽器博物館として誕生し、東洋で最大級の楽器専門の博物館です。

ヨーロッパ古楽器から世界の民族音楽、日本の伝統的な楽器など、世界の楽器1200点が地域別、テーマ別に展示されています。

浜松は日本で最初に国産ピアノが作られた街で、西洋楽器の生産においては100年以上の歴史を誇り、

今では楽器生産の世界の中心地のひとつです。

時には、ヘッドフォーンで、その楽器の演奏を聴くことも出来ます。


◎第1展示室(1階)
 日本とアジアの楽器が並びます。

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(1)                             「インドネシア・バリ島・ジュゴッグ」


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(2)                              「インド・タンブ-ラ・シタール・タブラ」
    以前、シタール演奏を聴いたことあるけど、どこから始って、どこで終わるか?良く分らなかったです。

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(3)                                「日本、筑前琵琶(びわ)」
    琵琶と言えば"平家物語”を思い浮かべますね。
    アジア系は、色合いが派手なので、日本コーナーは、地味目に見えるけど、落ち着いた感じ。


◎第2展示室(地階)
 オセアニア、アフリカ、アメリカの楽器、ヨーロッパの管楽器と弦楽器が展示されています。

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(4)                                    「オセアニアその他」


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(5)                  「バス・シターン、ポルトガル・ギター、バンジョリン、バンジョー」


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(6)                              「ターキッシュ・クレセント」
   18世紀~19世紀にイギリス・フランスなどの軍楽隊で使用。
   オスマン・トルコ軍楽隊の楽器、チャガーナが、ヨーロッパに伝わったもの。
   馬の尾毛の房をたらしたものが多い。赤色は戦場を象徴。
   クレッセントは「三日月」の意味。

浜松市楽器美術館7-1変更済浜松市楽器美術館7-2変更済

(7-1)                        「フレンチ・マンドリン・バンジョー」
(7-2)   「さすがおフランス!!」
  
      1920年代から30年代にかけてフランスで作られた。
      標準のバンジョーに比べると小型で短い、胴体の裏には様々な絵や文様が描かれている。
      
       
◎第3展示室(地階)
 ヨーロッパの鍵盤楽器が並びます。オルガン、クラヴィコード、チェンバロ、ヴァージナル、スピネット、ピアノ。鍵盤楽器の美しさと多様さを紹介。

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(8)                                  「クラシックオルガン」


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(9)                                 「アップライト・ピアノ」


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(10)                    「タルシマー」


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(11)                                


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(12)


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(13)                                    「チェンバロ」

     鍵盤を操作することによって演奏する楽器の総称であり、英語ではハープシコード 、フランス     語ではクラヴサン という。
     私は、始めて、ここのヘッドフォーンで、チェンバロの演奏を聴いて、すっかり魅了されました
     宮廷音楽のような、エレガントさ、優雅を備えてあるように思えました。



チェンバロの演奏です。

秋は芸術の秋でもあります。素敵な音楽で、憩うのも良いかとも思います。


14日は、偏向フィルター購入したので、試し撮りに出かけました。

しかし、上手く使いこなせなかったです。帰宅したのは、夜の11時。すっかり疲れました。

大型の台風が、16日の午前中に接近との情報により、
昨日は大雨の中、食料の買い出しに出かけたりして、バタバタしていました。

でも、思ったよりも、たいした事もなく、通過したので、ホッとしました。

で、ひさし振りの更新です。

お休みしている間に、沢山の方のご訪問とコメント、誠に有り難うございました。

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2013.10.11

東京


東京都・日野(多摩地域)は新選組副長・土方歳三の故郷です。

そして、5月11日は、土方歳三の命日です。

そこで、今年の5月11日命日に、訪れてみました。

土方歳三は、幕末期の幕臣、新選組副長。会津藩から、京都の守護を命じられ、

新選組時代には、鬼の副長と称され隊士たちから恐れられた。

戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として武名を顕し、

またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。

しかし、明治2年5月11日、箱館五稜郭防衛戦にて戦死。享年35歳。(Wikiより)

激動の時代を駆け抜けた人でした。


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(1)                                「高幡不動尊」(歳三菩提寺)
    年間200万参拝客のにぎわい
    関東三大不動尊の一つ高幡不動尊は古来より日本一と伝えられた丈六不動三尊(重文)をまつわる寺で、
    平安期からの文化財を数多く収蔵する古刹です。

    土方歳三の菩提寺であり、大日堂では毎年、5月11日の命日には法要が行われています。


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(2)                                   「土方歳三像」
    
     平成7年、東京日野ロータリークラブが、郷土史家の協力のもと歳三の姿を現代に蘇らさせたものです。



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(3-1)    「高幡不動尊・五重の塔」
                              
                                   (3-2)「土方歳三等身大像」
                                    弁天池入口で高幡不動を訪れる人々を見下ろすように立っています。
                              
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(4-1)  「新撰組の”誠”」の絵馬が奉納されていました。
                             (4-2)ご両親とお参りに見えた、姉妹のお揃いの洋服が可愛らしかった


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(5)                             「土方歳三資料館」(歳三の生家)

     平成17年春、リニューアルして開館!歳三生家に伝わる数々の資料と子孫との語らい。
     
     土方歳三の生家が建て替えを機に、平成2年から自宅の一室を開放して作られている資料館です。
     歳三の愛刀、「和泉守兼定」や鎖帷子などの武具、写真や手紙などが展示されております。

     開館日は、毎月第1・第3日曜日。

     命日には、沢山の人達が、訪れていました。女性が多かったです。室内撮影は禁。
        

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(6)                    「資料館庭」
     ○石田製薬・・・・歳三は実家秘伝の「石田散薬」を行商しつつ、各地の剣術道場で他流試合を              重ね、修行を積んだ。
     
     ○歳三手植えの矢竹・・・・武士になって名を揚げんとの願いを込めて歳三自らが手植えした矢竹

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  (7)                            「石田寺(せきでんじ)」  (歳三墓所)



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(8-1) 「土方歳三の墓」・・・命日以外の日でも、献花は堪えないとの事。
                                   (8-2)  「浅川に掛るふれあい橋」 歳三に思いを馳せながら、 浅川の土手を歩き、ふれあい橋を渡りました。




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(9)            「土方歳三」(資料館HPよりお借りしました)
      
     色白で引き締まった顔立ちをしており(当時としては)長身であった為、京都副長時代、
     彼を慕う芸者・舞妓からの恋文が寄せられ、それらがびっしり詰められて、「報国の心ころわするゝ婦人哉」
    という和歌が手紙に添えられて、故郷の知り合いに、送られてきたそうです。  



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(10)     「資料館館長・土方愛さん」(資料館HPよりお借りしました)

    土方歳三は妻子を持たなかったために直系の子孫はいないが、
    歳三の兄・喜六氏の血脈が続いており、彼から数えて6代目にあたる。
         歳三似の綺麗な方ですね・・・。

    私達が訪れた時は、愛さんのお母様の、土方陽子さんが館内を取り仕切っていました。



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5月12日は、「日野新撰組まつり」で、新撰組隊士パレードが開催されます。

(11-1)   当日・高幡不動尊で、土方歳三の供養が行なわれ、前日にコンテストで、選ばれた人達。
(11ー2)  「コンテストで選ばれた、2013年の土方歳三」
       (2枚の写真は、日野市観光協会HPよりお借りしました)


以上、幕末から、明治を駆け抜け、35歳という若さで壮絶な死を遂げた、土方歳三をご紹介しました。

土方歳三は、小説・TVドラマ・映画などになって、知ってはいたけど、

歴史上の人物として、改めて、色々と調べました。

調べて行くうちに、興味しんしんで、読みふけったりして、すっかり時間が掛ってしまいました。

纏めるのも大変でした。              コンデジ・フジX20を使用         「2013年5月11日撮影」

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2013.10.07

浜松市


歴史シリーズを何回にわたって、アップしたいと思います。

時代は、別々ですが、撮り貯めていたものの中から選んでいます。

まず、最初は、静岡県、浜松市にある「浜松城」です。

徳川家康が築いた浜松城は、天下統一への足がかりとなった「出世城」です。

そして、若き日の家康の野望とロマンが薫る浜松城です。(HPより)


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(1)   徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。
   有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間中の出来事で、
   特に元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の激闘であったと伝えられています。
    家康にとって、浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築くための試練の時代だった。(HPより)

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(2)                    「天守閣への階段」



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(3)                                   「浜松城の石垣1」

     自然石を上下に組み合わせて積む堅固な野面積みは、400年の風雪に耐え、今なお当時の面影を残しています。

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(4)                                   「浜松城の石垣2」

     浜松城と言わず、日本の城の石垣は、驚嘆しますね。
     今みたいに、機械があったわけではないのに・・・。

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(5)            「往時の石垣の上に、再建された新天守閣」
     
     3階の展望台からは浜松市街を一望出来ます。
     北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、晴れた日には、東に富士山もくっきり見るとの事です。

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  (6)                              「家康お手植えの、密柑の木」

      家康が駿府城に隠居したおり、紀州から献上されたみかんの木から接木したものが植えられています。
      (注)現在は、工事中のため、撤去されています。

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(7)                                        「庭園」
      (注) 現在は、 工事中のために撤去されています。



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(8)    「お稲荷さん」ですが、今、浜松城管理事務所に、問い合わせたところ、
       この浜松城とは、関係なく、個人所有のものだとの事ですが、
     隣接地に建ててあり、あまりにも、朱色が綺麗だったので、写真を撮ってきたので、載せました。

歴史が好きなので、撮ってきた写真から、更に詳しく、歴史が学べます。

実は、なかなか撮影に行くことが出来ないので、困った時は、蔵出しです(^^;    (20xx年8月5日撮影)

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2013.10.04

巾着田


巾着田の曼珠沙華、第三弾です。

今回は、ここに訪れた人たちと、曼珠沙華を撮ってみました。

500万本の曼珠沙華も、ここを訪れた人々あっての事だと思います。

肖像権を考慮しながら、神経を使って、でも、愛情を込めて人々を撮らせて頂きました。


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  (1)                       「日高のシンボル、日和田山(ひわださん)と巾着田」
     曼珠沙華は、このように雑木林の中に咲いています。


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(2)                                 「思い思いに・・・。」



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(3)                       「母と娘」



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(4)                                「真剣に・・・」



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(5)                                「あいあい橋の下で」



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(6)                            「姉と弟」 姉「石どこまで飛んだかなぁ~!」



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(7)    「姉と弟」    弟「僕も投げてみるよ~~~!」



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(8)                    「ちょっと休憩」



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(9)                                   「画家」
    画面に人が映っていなくても、確かに人の存在が分りますよね。


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(10)                                     高麗川に架かる「ドレミファ橋」(流れ橋)


以上で、巾着田とお別れです。                       (2013年9月24日撮影)

3回に渡り、巾着田の曼珠沙華をアップしました。

最後まで、お付き合い下さいまして、本当に有り難うございます。

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2013.10.02

巾着田


埼玉県日高市にある、500万本の曼珠沙華(彼岸花)です。

日和田山から眺めると、巾着のように見えるので、古くからの俗称として、巾着田と名付けられました。

前回は、真っ赤な曼珠沙華をご覧頂きました。

曼珠沙華第二弾は、白花曼珠沙華です。白い花を追っかけてみました。

強烈な印象を与える、赤い曼珠沙華の中に、気品があり、凛として咲いているのが、白花曼珠沙華です。

今回は、赤い曼珠沙華は、白花曼珠沙華を引立てる、脇役に徹しました。

昨年よりも、今年の方が白が増えていたように思います。

隣で撮っていた女性の方も、白を増やしたのかしら?と話していたので、私もそうなのか?と思っていました。

でも、帰って調べたら、”ごく僅かで希少価値がある、白花曼珠沙華は、赤い花の突然変異によって白い花が生まれる”とのことです。


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  (1)         「赤い曼珠沙華の中に、ひっそりと咲いて!」



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(2)                              「輝いて!!」



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(3)          白い曼珠沙華曰く「今日は私が主役よ!!」



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(4)                              「イチモンジセセリ来訪」



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   (5)                  「凛として主張」



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   (6)                  「軽やかにスイングして・・・」



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  (7)                  「ホワイトプリンセス」



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 (8)                                「寄り添って・・・」



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(9)                       「こんにちは!トンボちゃん、わたしがママよ♪」



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(10)                                「造形美」


白花曼珠沙華でした。どの様に撮ったら?良いか?苦心惨憺でした。

白花曼珠沙華は、少し黄色味をおび、淡いピンクの華芯、気品がありながら、可愛らしさがありました。

後、1回続きます。                           (2013年9月24日撮影)

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プロフィール

梅サクラ

Author:梅サクラ
写真で、日本の季節を捉えて、表現。
人物写真も好きです。
報道写真は、以前ある新聞社のクラブに入って勉強。
映画も良く観ます。映画は心の糧。
宜しくお願い致します。

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