三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。
約7kmの海岸線に5万本以上の松が茂り、三大松原のひとつに数えられています。
波打ち際から望む富士山はまさに圧巻。その素晴らしさは、日本新三景の名勝地の一つ。
そして、羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」と呼ばれる
樹齢650年の老松があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には、羽衣の切れ端が保存されています。

(1) 「美保の松原」 あいにく富士山は見る事出来ませんでした。

(2) 「羽衣の松」 - 天女が羽衣をかけたとされる樹齢650年の老松
【 羽衣伝説 】
昔々、三保の村に伯梁という漁師がおりました。ある日のこと、伯梁が松の枝にかかっている美しい衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天女が現れて言いました。「それは天人の羽衣です。どうかお返しください。」ところが伯梁は大喜びして返す気配を見せません。すると天女は「その羽衣がないと天に帰ることができません」と言って泣き出しました。伯梁は天上の舞を見ることを条件に羽衣を返しました。天女は喜んで三保の春景色の中、羽衣をまとって舞を披露。やがて空高く天に昇っていきました。(wikiより)

(3) 「神の道」 樹齢およそ200年~300年といわれる松が整然と並ぶ。御穂神社への参道。

(4) 「清水港」

(5) 「清水次郎長の生家」
清水と言えば、清水 次郎長(しみずの じろちょう) 本名、山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)
文政3年1月1日(1820年2月14日) - 明治26年(1893年)6月12日)は、幕末・明治の侠客。
ここでの撮影・見学をしたくとも、車の駐車場が見あたらず、撮影を断念。
写真は、(静岡県観光情報)より、お借りしました。

(6) 「春の清水すし横町祭」
(清水すし横町) 静岡県静岡市清水区入船町13-15
エスパルスドリームプラザ1F
まさかすし横町があるとは、ビックリ。

(7) (清水すし横町) こちらのお店でランチ。ネタも新鮮で、一つ、一つの握りも大きかった。
寿司というと、思い出すのが、次郎長の子分”森の石松”のエピソード。
浪曲師・広沢虎造の十八番の一つだが、映画・TVドラマの中で、石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞。その後、実はその江戸っ子はその人が石松である事に気づいており、「馬鹿は死ななきゃ直らねぇ!」と石松をからかう。


(8)(9) 「駿河美保のまつばら」
「東海道五十三次」で世界的に知られる、江戸時代の浮世絵師・歌川広重(1797-1858)の作。
その生涯に数多くの浮世絵版画の傑作を残す。
18世紀、フランスに「ジャポニズムブーム」が起こり、日本の浮世絵は、
フランスの印象派の沢山の画家達に、大きな影響を与えています。
前記事で、モックンの話しが出たので、今回もその流れで、シブがき隊の話題を・・・。
シブがき隊が歌って一世を風靡した「スシ食いねェ!」はこの虎造の浪花節からヒントを得たとも言われる。でも、本来の浪花節の台詞はあくまで「寿司を食いねぇ」との事。
写真は、偶々美保の松原を訪れて、カメラは持ち合わせていなかったので、携帯で撮りました。
で、アップしようか?どうか?迷っていたけど、清水に関する、話題が豊富だったので、
決心しました。写真は割り引いて、ご覧下さい。
蔵出しです。
最後までのお付き合い有り難うございました。
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拍手コメもありがとうございます。
コメントを嬉しく読ませて頂いております。
約7kmの海岸線に5万本以上の松が茂り、三大松原のひとつに数えられています。
波打ち際から望む富士山はまさに圧巻。その素晴らしさは、日本新三景の名勝地の一つ。
そして、羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」と呼ばれる
樹齢650年の老松があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には、羽衣の切れ端が保存されています。

(1) 「美保の松原」 あいにく富士山は見る事出来ませんでした。

(2) 「羽衣の松」 - 天女が羽衣をかけたとされる樹齢650年の老松
【 羽衣伝説 】
昔々、三保の村に伯梁という漁師がおりました。ある日のこと、伯梁が松の枝にかかっている美しい衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天女が現れて言いました。「それは天人の羽衣です。どうかお返しください。」ところが伯梁は大喜びして返す気配を見せません。すると天女は「その羽衣がないと天に帰ることができません」と言って泣き出しました。伯梁は天上の舞を見ることを条件に羽衣を返しました。天女は喜んで三保の春景色の中、羽衣をまとって舞を披露。やがて空高く天に昇っていきました。(wikiより)

(3) 「神の道」 樹齢およそ200年~300年といわれる松が整然と並ぶ。御穂神社への参道。

(4) 「清水港」

(5) 「清水次郎長の生家」
清水と言えば、清水 次郎長(しみずの じろちょう) 本名、山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)
文政3年1月1日(1820年2月14日) - 明治26年(1893年)6月12日)は、幕末・明治の侠客。
ここでの撮影・見学をしたくとも、車の駐車場が見あたらず、撮影を断念。
写真は、(静岡県観光情報)より、お借りしました。

(6) 「春の清水すし横町祭」
(清水すし横町) 静岡県静岡市清水区入船町13-15
エスパルスドリームプラザ1F
まさかすし横町があるとは、ビックリ。

(7) (清水すし横町) こちらのお店でランチ。ネタも新鮮で、一つ、一つの握りも大きかった。
寿司というと、思い出すのが、次郎長の子分”森の石松”のエピソード。
浪曲師・広沢虎造の十八番の一つだが、映画・TVドラマの中で、石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞。その後、実はその江戸っ子はその人が石松である事に気づいており、「馬鹿は死ななきゃ直らねぇ!」と石松をからかう。


(8)(9) 「駿河美保のまつばら」
「東海道五十三次」で世界的に知られる、江戸時代の浮世絵師・歌川広重(1797-1858)の作。
その生涯に数多くの浮世絵版画の傑作を残す。
18世紀、フランスに「ジャポニズムブーム」が起こり、日本の浮世絵は、
フランスの印象派の沢山の画家達に、大きな影響を与えています。
前記事で、モックンの話しが出たので、今回もその流れで、シブがき隊の話題を・・・。
シブがき隊が歌って一世を風靡した「スシ食いねェ!」はこの虎造の浪花節からヒントを得たとも言われる。でも、本来の浪花節の台詞はあくまで「寿司を食いねぇ」との事。
写真は、偶々美保の松原を訪れて、カメラは持ち合わせていなかったので、携帯で撮りました。
で、アップしようか?どうか?迷っていたけど、清水に関する、話題が豊富だったので、
決心しました。写真は割り引いて、ご覧下さい。
蔵出しです。
最後までのお付き合い有り難うございました。


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