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2013.08.29

花火


河口湖湖上祭・大花火大会です。 今年で97回目を迎えたとの事です。歴史がありますね。

今年の「富士山世界遺産」への登録により、今回は富士山をキーワードにしたプログラムを多数用意したとの事。

花火の種類は「特大スターマイン・大玉連発・孔雀花火・ミュージカルスターマイン・花火コンクールetc」

夢中で、レリーズを押していたので、タイトルもついてはいたけど、全然何が何だか分らなかったですが・・・。

前回の写真でおわかりの通り、富士山は、その後姿を現わさなかったです。

「富士山を背景に、花火を撮る」という遠大な計画は、実現せず、来年に持ち越しとなりました。

では、花火をご覧下さい。


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  (1)



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(9)

  次回に続きます。

ネットで、「花火の撮り方」を検索して、一夜漬けでの、デジイチでの、花火撮影。

でも、他のブロガーさん達の、素晴しい花火撮影の写真を、見させて頂いて、勉強は密かにしてはいました。

しかし、実際その場に立ったら、夢中でした。レリーズをどこで押したら良いのか?状態。

あの「川越の花火」は2回目になったので、結局、この河口湖が花火撮影の第1回目でした。

「結果オーライ」の写真です。                      (2013年8月3日撮影)

でも,この撮影場所(富士山と花火撮影の)は、殆ど、カメラマンだけだったので、混雑はなかったです。

一般観客は、対岸での見学だったと思います。

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2013.08.27

富士5湖


「夏の河口湖の代名詞「河口湖湖上祭」。

前夜祭は8月4日に、大・花火大会年は8月5日に開催します。」

との情報を得たので、"富士山を背景に花火の写真を撮りたい!"

壮大な花火写真になると、初めての一眼デジでの花火撮影なのに、

無鉄砲な計画を立てて、飛んで行きました。

でも、家を出たときは、晴れていたのに、山梨に近づくにつれて、

厚い雲が、広がり、富士山はとんと見えず・・・。

そのうちに、雨がぽつぽつと降ったり、止んだり・・・。

でも、せっかく来たのだからと、7時45分始まりの花火を待ちました。

花火を撮るカメラマン達は、5時過ぎすでに三脚を立てて、待ち構えていました。

以下は、花火が打ち上がるのを待っていた時に、撮った写真です。


河口湖1(1)変更済

  (1)    富士山も悪いと思ったのか、午後6時半頃に、顔をちょこっと覗かせました。
         
        左の光は、花火です。「花火大会」開始の合図だと思います。


河口湖1(2)変更済

 (2)     顔を出した富士山もすぐに顔を隠してしまいました。
            
           頂上近くの光は、登山客の灯りでしょうか?

        
河口湖1(3)変更済

  (3)                                 「河口湖大橋」
       帰りは、この橋が渋滞しました。


河口湖1(4)変更済

   (4)  空が赤く色づいてきて、何とも言えない綺麗さでした。



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   (5)   向こう岸の建物の灯りが、水面に映って、とても惹きつけられました。

さぁ~、いよいよ花火大会の始まりです。いやが上にも、緊張感と、期待が高まります。

3時頃に、河口湖に着いたので、まず昼食を・・・と思って、「ほうとう」で、有名とされている、
「甲州ほうとう 小作 河口湖店」に行きました。とても混でしましたし、量が多くて、お腹1杯。

その後、撮影場所に、5時過ぎに着いたけど、立って待っているのは、大変なので、
近くのホテルに入って、「宿泊客ではないけど、お茶出来ますか?」と聞いて、

大丈夫だったので、中に入って、お茶しながら、”くろ玉”を食べました。
以前、確か、ソレイユさんのブログで、ご紹介があったので・・・。

上質のえんどう豆をあんこ玉にして、薫り高い黒糖をかけた和菓子でしたが、
程よい甘さで、これからの花火撮影のエネルギーになったようです。       (2013年8月5日撮影)

次回、花火大会です。

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2013.08.24

花火


埼玉県川越市、伊佐沼で8月10日に、花火大会が開催されました。

打ち上げ総数、約6000発。

最大4号玉のスターマイン。

結婚・出産などの記念メッセージとともに打ち上げる記念メッセージ花火。

水面付近から半円状に広がる水中スターマイン。

今年の夏は、三脚を新しくして、花火撮影に挑戦しました。

でも、撮影のための良い位置が取れず、苦戦。目の前の木々や、外灯に邪魔されたりした。


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  (1)     木々を避けてアップで撮っています。


川越花火1(2変更済

(2)       目の前の木々に邪魔されています。


川越花火1(3)変更済

(3)     木々を避けてアップで撮っています。


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(4)


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(5-1)
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(6)    やっと三脚を移動できて、水面から撮る事が出来ました。


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(7)    こちらも水面から撮る事が出来ました。


猛暑が到来した、初日だったので、暑さのために、躊躇していて、撮影地に行ったのが、約1時間前。

探しても、探しても良い位置を見つけることが出来なかったです。

三脚を立ている方に聞いたら、朝の6時に、席を取りにきて、午後3時に、再確認に来て、5時に到着との事でした。

で、肝心の”半円状に広がる水中スターマイン”は撮影できずでした。何とか撮った、花火のアップです。                                    (20013年8月10日撮影)

「思いを馳せて」シリーズに、沢山の方々のご訪問を頂き、真摯なコメントも頂き、本当に有り難うございました。

私もこの(3)シリーズに掛けた時間は、アップ       3×3=9時間
                 他の方のブログ訪問  4×3=12時間
                 コメントへのお返事  延5×3=15時間
                  合計           約 36時間 (1日半)

かなり、精魂傾けて、疲れたので、昨日(23日)は、休肝日ならぬ、休ブログ日にして、
貯まっていた家事をしたり、録画してあった、映画を観て、気分転換をしていました。

そして、今日から、また再開です。宜しくお願い致します。

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2013.08.20

鹿児島


第三弾です。

枕崎市は、鹿児島県の薩摩半島南西部に位置し、東シナ海に面する市。漁業が盛んで、特にかつおの水揚げで有名。

昭和20年、沖縄決戦へと向かう戦艦大和を旗艦とする第二艦隊は、米軍との死闘の末、200km沖合の東シナ海に撃沈した。

沈没地点の至近距離にある枕崎市では、2005年(平成 7年)その供養と平和への願いを込めて、

火の神公園内に平和祈念展望台を建立しました。


平和記念公園1変更済 (2)

 (1)                              「平和記念展望台」
          英霊慎む沖縄海戦しのびつゝ
            火の神の丘に大和艦碑建つ

            枕崎の西南の海渡り来る
             わたつみの雄叫びか潮騒かなしゑ

平和記念公園2変更済

 (2)                     「 大和全力公試航海中の写真」 (ネットよりお借りしました)

   大和が動いているところを撮影したフィルムは一つもないそうです。
   全て写真でしか知り得ない大和の姿なのです。

   大東亜戦争末期の、昭和20年4月7日14時23分
   戦艦大和を旗艦とする第二艦隊が沖縄決戦へ向かう途中、米軍機と死闘の末、鹿児島・坊ノ岬沖 に沈んだ。

平和記念公園3-1変更済平和記念公園3-2変更済

(3-1)   「第二艦隊沈没地点」
戦艦大和、巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風、濱風、霞、朝霜 6隻の戦艦
                                  (3-2) 波涛しずまる枕崎
                                        ともしび灯る枕崎
  
                                        再び還りませ枕崎
                                         待ちわびる
                                           遺族のあることを                   ( クリックすると大きくなります)
平和記念公園4変更済

 (4)                67年の歳月が流れた、今、海は、波静か・・・。

        日本海軍の栄光をになうべく誕生し、
        やがてその滅亡の象徴となった戦艦大和は、3721名の尊い、若き命と共に、
         今、九州沖の海底深く眠りつづけている。
平和記念公園5変更済

 (5)    戦艦大和が沈んだ、遠い海の彼方に、枕崎から、思いを馳せる。

             天網恢恢疎にして漏らさず
 
                 国の為 命惜しまず
                  みごと散る
                勇士達は 桜花の如し
                            
平和記念公園6-1変更済平和記念公園6-2変更済

  (6-1) 『殉難鎮魂之碑/戦艦大和などの御霊に捧ぐ』
                                         (6-2) 『女神像』


映画『男たちの大和 YAMATO』 


アニメ『宇宙戦艦ヤマト』が1974年から、読売テレビで、放映されたが、
戦艦大和の遂げられなかった思いから、このアニメが後に作られたともいわれている。

宇宙戦艦になり地球を放射能汚染から救い、最後は愛する人とともに特攻し命果てる。

昨年、鹿児島シリーズで、アップしましたが、再度手を加えて、再アップしました。

枕崎市は、”カツオラーメン”が、有名との事。

今回を持ちまして、「思いを馳せて」シリーズは、終了です。       ( 2012年5月3日撮影)

最後までお付き合いを有り難うございました。
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2013.08.17

鹿児島


第二弾です。昨年、鹿児島シリーズでアップ済みですが、再度手を加えて、再アップしました。


富屋食堂1変更済

(1)          知覧の特攻隊員から「おかあさん」と呼ばれた、鳥濱トメさん。(写真はネットよりお借りしました)

            知覧特攻基地が特に有名なのは、このトメさんのご尽力のたまものなのです。

            そして、特攻の母と呼ばれ、前回紹介した、平和観音堂の建立にもご尽力された。                                        

富屋食堂2変更済

 (2)                 富屋食堂を開業したのは、昭和4年の事でした。

                    大東亜戦争末期、「富屋食堂」は帝国陸軍指定食堂となり、

                    そのために沢山の特攻隊員が訪れるようになったのです。
 
                    そんな隊員たちを我が子のように可愛がりました。

富屋食堂3変更済

(3)                鳥濱トメさんが知覧で、戦時中、営まれていた【富屋食堂】が、
  
                     映画『ホタル』の時に再建され、現在は資料館です。

                     「ホタル館」とも呼ばれています。

富屋食堂5変更済

 (4)                     開聞岳(カイモンダケ) (薩摩富士と呼ばれているほど、美しい)

         知覧飛行場を発進した特攻機は,機首を開聞岳に向けて一周して、南海の空に消えて行った。

富屋食堂6変更済
 (5)                「宮川三郎少尉」(20才)    (写真はネットよりお借りしました)

1945年6月、出撃の前夜、特攻隊員の宮川軍曹は『小母ちゃん、死んだら、また小母ちゃんのところへ、

明日の夜9時頃、ホタルとなって戻ってくる、その時は同期の桜を歌って欲しい』と

鳥濱トメさんに言い残して、鹿児島県知覧基地から出撃していった。

ところが次の夜9時頃に、トメさんの家に、本当に一匹のホタルが入ってきたのです。

で、トメさんが『皆さん、このホタルは宮川サブちゃんですよ』と言ったら、

『本当かね?おばさん』といって、みんなで“同期の桜”を歌いました…』

富屋食堂7変更済

 (6)  この逸話が元で、この映画が作られた。 (写真はネットよりお借りしました)
   
   元特攻隊員と、病に冒され余命いくばくもない妻との夫婦愛。

   昭和の終わりを背景として描いた、高倉健主演の映画。

富屋食堂8変更済

 (7)  『俺は、君のためにこそ死ににいく』は、 (写真はネットよりお借りしました)

    2007年5月12日に公開された日本映画作品。総制作費18億円。

    石原都慎太郎元都知事は、生前の鳥濱トメさんと交流があり、
    この映画の製作・脚本を手がけています。

    都知事に寄る脚本は、彼女が生前のこした貴重な証言に忠実に描いています。

    祖国の歌「アリラン」を最後に歌って、堂々と飛び立っていった青年から、

    わずか10代で太平洋の藻屑と散った少年まで、実話ならではの重さが胸を打ちます。

富屋食堂9変更済

  (8)                      映画『俺はきみのためにこそ死にいく』の記念碑
       富屋食堂近くにあります。

富屋食堂4変更済変更済

(9)     戦後、トメさんは、富屋旅館の離れにある、当時特攻隊員さん達が訪れてた部屋で、
     平和の語り部として『戦争はね、あってはならないのですよ』と隊員さん達とのエピソードを交えながら語り、。
     平成4年4月22日、桜が散ってしまったあと、89歳でこの世を去りました。


映画『俺はきみのためにこそ死ににいく』



以上、内容が盛りだくさんになってしまいました。

「富屋食堂」から、徒歩で、100m程行った先に、前回ご紹介した、「知覧麓の武家屋敷群」の出発点があります。
                                               (2012年5月3日撮影)
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2013.08.15

鹿児島


今日、8月15日は、68回目の「終戦記念日」です。

そこで、昨年、鹿児島シリーズでアップ済みですが、再度手を加えて、再アップしました。

昨年の5月3日、「第58回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に参加するために、南九州市知覧へ行きました。

今回、鹿児島へ行ったのは、この慰霊祭に参加するためでした。

知人の鹿児島の方達が案内し、歓待してくれました。他にも関東から、数名参加。

慰霊式に参加する前に「知覧特攻平和会館」を見学。

この会館には、若い人を始め、沢山の人たちが訪れていました。

あの大戦の沖縄戦で、この知覧から、20歳前後の若い隊員達が、出撃しました。

沖縄戦で、特攻戦死された方達は、1036名になるそうです。

隊員達の達筆な手紙、遺書の知識の高さ。

写真に映っている、彼らの死に行く前の表情の屈託なさ、笑顔を、涙なしには、見る事が出来ませんでした。
生きていて欲しかったです。

小泉元総理も、以前、ここを訪れて、「号泣した」と話していましたね。


知覧1変更済

(1)                           「知覧特攻平和観音堂」

     「知覧特攻平和会館」の隣に建っていて、こちらで慰霊祭が行なわれました。

      献花の前に、献詠がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     母ともなり 姉ともなりて 励げましむ 出陣送る 基地の朝露
                    第六十振武隊 永田 利夫少尉に贈る 大 津 冨 子

     押さえても うきくるものゝ はげしさよ 只玉砕と 散らむうれしさよ
                    誠第三十六飛行隊  峰  保昌少尉

     雲を裂き  地を擡(くり)かなむ 年明けぬ
                     第百十四飛行隊   矢作 一郎大尉

     先がけし  友に後れし  我もまた死して永久に 皇國護らん
                      第四十二振武隊   猫橘 芳朗大尉
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     朗朗と響き渡るお声で、朗詠されるのを聞いて、
     私はハンカチを握りしめ、溢れるでる涙を拭っていました。


知覧2変更済

 (2)              「とこしへに像」 (特攻銅像)  制作 日展審査員 伊藤五百亀氏
          
           ”み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
 
             りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
 
              ああ、開聞の南に消えた勇士よ”


知覧3変更済

 (3)                 「やすらかに像」 (母の像)    前田 将氏

            ”特攻隊の若い命は、再び帰らず。
                
             出陣の時間まで求めたであろう母の姿。
                
             この晴れ姿をせめて母上に最後の別れを、お礼を一言。
   
             胸も張り裂けそうな、その心情は母もまた同じであったろう
                
              今ここに立つ母の姿"


知覧6変更済

(4)                                           「開聞岳 (薩摩富士)」  
        薩摩富士と言われるほど、美しい姿です。

      地元の人曰く、「山の頂上に雲が掛かっている事は、滅多に見られない」との事でした

知覧4変更済

(5)                            「一式戦闘機「隼」(はやぶさ)」

        大東亜戦争において、陸軍の主力戦闘機として活躍した
         一式戦闘機「隼」Ⅲ型甲をモデルに、当時の資料や少飛会の姿見を取り入れて、忠実に復元製作され、
         映画『俺は君のためにこそ死ににいく』で実際の撮影に使用された「隼」を展示。

        「隼」は当時知覧の特攻基地からは、九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。

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  (6)                         「三角兵舎」

         三角兵舎は特攻隊員の宿舎であり、敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、
         屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してあつた。

         各地から集まった隊員はニ~三日後には雲のかなた沖縄の空に散華され、

         出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲みかわしながら隊歌をうたい、
         薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征った。

息子を、見送った母の心は、いかばかりであったか?

この方達の尊い犠牲の上に、今の平和な日本があることを、もう一度、噛みしめねばならないと思います。

「花火」をアップする予定でしたが、「終戦記念日」でしたので、急遽、こちらをアップしました。  (2012年5月3日撮影)
続きます。

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2013.08.12

祭り


入間川七夕祭 第二弾です。

今回は、七夕祭を楽しむ、それぞれの人達に、特に二人連れに、スポットを当ててみました。

前回の紹介した、七夕の飾りに、富士山が多かったのは、この狹山市で、富士山が、見えるからです。

特に、入間川に掛る橋の上から見える、夕焼けを背にして浮かび上がる富士山は、とても綺麗です。

で、「富士見橋」「新富士見橋」と名付けられている橋もあります。

そこで、富士山の世界遺産登録を祝っての事だと思います。


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(1)                                   「粋な二人連れ」


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(2)                 「弾む会話」


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(3)                  「仲良し?」


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(4)                                    「マリンな七夕祭」


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(5)      母と娘の会話・・・・「ママ・このお面が欲しい!」
     お母さんの着物、とてもモダンですね。

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(6)                             「素敵なお姉さん二人」


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(7)                           「人・人・人・・・」・・・歩道橋から撮影
    

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(8)               ♪♪笹の葉 さらさら 軒端に揺れる お星様 きらきら 空から 見てる♪♪


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(9)                  「楽しかったね♪ さぁ~、お家に帰ろう~~」


入間川七夕祭 第二弾をご紹介しました。

楽しんで頂けましたでしょうか?

お祭りは、写真を撮る方も、楽しいですね。スナップの宝庫でもあります。            (2013年8月3日撮影)

でも、混雑していると、竹飾りに人々を上手く配置して撮るのはとても難しいですが・・・。

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2013.08.09

祭り


狭山市の夏の風物詩「入間川七夕まつり」は,埼玉県狭山市入間川地域で、8月第1土曜日・日曜日に行なわれ、

関東三大七夕祭りの一つであり、仙台七夕祭りに次いで古い。

狭山市駅前から、七夕通りを中心に約2kmの沿道には、商店、事業所、市民が出品した百数十本の竹飾りで埋

めつくされ、花火大会も実施。毎年40万人ほどが訪れます。

また、昼間とは一味違った竹飾りの美しさと涼を求めて、多くの方が夜遅くまで、祭を楽しみます。(HPとwikiより)

しばらく振りで、この七夕祭に行ってみました。


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 (1)  駅から、歩道橋を歩いていたら、目の前に、何と、真っ赤な夕日が~~~!
     慌てて、バックからカメラをとりだして、夢中で撮りました。七夕祭に来て、夕日に出会うとは・・・。

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(2) 「和で広がる世界の輪」・・・・”ふしのたかねにゆきはふりつつ”
    今年の飾りに、やはり、富士山が多いです。

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(3)                           「竹飾りが風になびいて・・・」


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(4)                             「天満天神社の縁日」
    祭神は、京都北野神社福岡県太宰府天満宮より、道真公の分霊をお祭りしています。
    歴史がありますね。

入間川七夕祭1(5-1)変更済入間川七夕祭1(5-2)変更済

(5-1)  祭り囃子と舞い手・・・「飴ををどうぞ!」
(5-2)                            「僕にも、ちょうだ~い!」    (クリックすると大きくなります)

入間川七夕祭1(6-1変更済入間川七夕祭1(6-2)変更済

(6-1)   祭り囃子と舞い手・・・「僕にも、ちょうだ~い! わたしにも、ちょうだ~い!」
(6-2)                          「ス・テ・キなレディに、はい、どうぞ。」   (クリックすると大きくなります)

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(7)                               「七夕の宵を楽しむ人々」


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(8)                               「思い思いの七夕」  "あ、富士山だ!!" ”どこどこ?”

暑いので、涼しくなってから、七夕祭に出かけました。

本当にひさし振りだったけど、凄い人出には、ビックリでした。
以前より、祭を訪れる人々が、増えていたように思います。

でも、駅も新しくなって、飾りの趣向も、変わっていて、新鮮でした。

最近のお祭りでは、女性達の浴衣姿が、多いですね。それに混じって、男性の浴衣姿も・・・。
嬉しいですよね。

第2弾に続きます。

前回は、フランス画家の絵画でしたが、今回は、和風です。          (2013年8月3日撮影)

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2013.08.07

美術館


東京上野に、「国立西洋美術館」があり、その中の常設館に、「松方コレクション」があります。

松方コレクション(まつかたコレクション)は、実業家松方幸次郎が、大正初期から昭和初期(1910年代から1920年代)にかけて築いた美術品コレクションのことです。

川崎造船所(川崎重工業の前身)社長を務めた実業家松方幸次郎 (1865 - 1950) がイギリス、フランス、ドイツ等で収集し、近代のものを中心とする西洋の絵画・彫刻、日本の浮世絵が主体です。
西洋美術のコレクションのうち、近代フランスの絵画・彫刻等約370点は、東京・上野の国立西洋美術館に収蔵され、公開されています。

モネと松方幸次郎氏は親交が厚かったようで、モネの自宅を訪ねた時に、モネの自邸に飾ってある自作の中から18点を選び、所望した。モネは「自宅に飾ってあるのは自分のお気に入りの作品だが」と言いつつ、「「君はそんなに私の作品が好きなのか」と言って快く譲渡してくれたという。

晩年のモネは、ジヴェルニーの自宅への来客を断る事が多かったそうです。
しかし、日本人の来客は歓迎したと言われる。
ジヴェルニーの自宅に来訪した日本人家族の少女に、顔をほころばせるモネの写真が残されているそうです。

数年前に、西洋国立美術館を訪れた時に、通常、美術館では、写真撮影は、不可ですが、ここでの撮影は許可と言うことで、カメラを持ち合わせていなかったので、急遽(1)~(8)は携帯で撮りました。

では、丁度、「モネの庭」の話が出たところで、クロード・モネと他の印象派達の、絵画です。本物です~~!!
実物の絵を実際に見ると、その筆遣いやタッチetcが知る事ができて、感動しますよね。

クロード・モネ作品1変更済

 (1) クロード・モネ作                  『睡蓮』
    解説・・・モネが睡蓮の連作を20年ほど描いていた中の1点です。
    約2メートル四方の画面いっぱいに広がる睡蓮の池。回りのものを取り除き、
    その水面に浮かぶ美しい睡蓮の姿を切り取った構図。
    みずみずしい紫がかった水面と、睡蓮の花の明るい色のコントラスト。
    印象派を代表する美しい絵として、人気が高い。(ネットより)
クロード・モネ作品2変更済

 (2) クロード・モネ作                  『舟遊び』
     解説・・・ジヴェルニーの家の近郊にあるセーヌ川支流エプト川に船を浮かべ優雅に余暇を過ごす婦人たちの情景を描いた作品。浮世絵の影響があるとのこと。(ネットより)

クロード・モネ作品3変更済

 (3) クロード・モネ作           『 陽を浴びるポプラ並木 』
     解説・・・やや荒々しく闊達な筆触で全体が処理されているが、その描写は何れもポプラ並木や草々、空と雲、   エジプト川の豊かな表情の瞬間を見事に捉えており、モネの様式的特性がよく表れている(ネットより)

クロード・モネ作品5変更済

 (4) クロード・モネ作             『 ヴェトゥイユ 』


クロード・モネ作品6変更済

 (5) クロード・モネ作      『 黄色いアイリス 』 


ゴッホ

 (6) バァン・ゴッホ作           『 ばら 』
    ゴッホと言えば、強烈な、ひまわりが有名ですが、この「ばら」は優しく描かれて感じがします。


ルノアール(1)

  (7) オーギュスト・ルノアール        『 帽子の女 』
     この絵は、良く目にしますよね。

ルノアール (2)

  (8) オーギュスト・ルノアール     『 アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム) 』 
     希代の傑作との事。 フランス政府より、交渉の末、返還された。

クロード・モネ作品9クロード・モネ作品7

  (9-1) クロード・モネ作 『日の出・印象』・・・・この絵から、「印象派」という言葉が出ました。
   (9-2) クロード・モネ作  『蓮の池』・・・あのモネの庭の太鼓橋を描いています。
    (9-1)と(9-2)はネットからお借りしました。

第二次大戦後、パリに保管されていたコレクションは、フランス政府に、押収されたが、その後の交渉の中で、コレクション中、重要なゴーギャンやゴッホなどいくつかの作品についてはフランス側が譲らず、
結局、絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、書籍5点の合計370点の作品が、美術館を建設して展示するという条件付きで返還された。そして、。受入れのための美術館はル・コルビュジエにより基本設計が行われ、1959年に国立西洋美術館として開館した。(wikiより)

1日は都内で、三脚など購入後、映画「25年目の弦楽四重奏」を観賞して、ベートーベンの音楽を堪能。

3日は「七夕祭」の撮影。・・・整理中。

5日は「河口湖の花火大会」の撮影。・・・整理中。思うように撮れずにヘコんでいます。

で、出歩いていたので、更新もままならず、昨日(6日)は疲れから・ダウン。
やっと、今日、更新出来ました。 携帯での撮影なので、差し引いて、ご覧下さい。蔵出しです。

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2013.08.02

浜松市


花の美術館第二段です。水の庭(スイレンの咲く庭です)。北川村から、スイレンの株分けをしてもらったとのこと。

19世紀後半~20世紀初頭に掛けて、フランスではジャポニズムが一大ムーブメントで、日本の浮世絵がとても人気であり、当時の画家達(モネ・ルノワール・セザンヌetc)に強烈なイスピレーションを与えました。

クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、

時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家でありました。

モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ多数の作品を残しています。

彼はフランス・ジヴェルニーに、43歳から生涯の半分をこの「モネの庭」とアトリエのある邸宅で過ごしました。

「モネの庭」は日本の庭を参考に造られています。

池には色とりどりの睡蓮が咲き、藤棚がある太鼓橋が架けられ、

あ、日本の太鼓橋は朱色ですが、モネの太鼓橋はグリーンです。建物の、窓枠や階段と同色ですね。

そして、池の畔には柳が植えられ・・・。柳は、日本から取り寄せたと聞きます。

そのモネが描いた、スイレンの絵をイメージしながら、「水の庭」の撮影をしましたが・・・。比べるなんて、どだい無理な話ですが・・・。


花の美術館2(水の庭1)変更済

  (1)                          「太鼓橋のある光景」


花の美術館2(水の庭2)変更済

(2)  赤いスイレンは、特に目を惹きますね。


花の美術館2(水の庭3)変更済

(3)   「熱帯性スイレン」   紫色のスイレンにとても惹きつけられました。
    北川村「モネの庭」・・・・こちらを見ると、青いスイレンがあります。
                   フランスでは、モネの願望が届かず、咲くことが出来なかったそうですが、ここ高知の北川村で、始めて、青いスイレンが咲いたそうです。

花の美術館2(水の庭4)変更済

(4)  あ、太鼓橋に人が・・・モネかしら?違いますよね?笑)


花の美術館2(水の庭5-1)変更済花の美術館2(水の庭5-2)変更済

(5-1) 白いスイレンは、清らかな感じがしますね。
(5-2)                             「クリックすると大きくなります)

花の美術館2(水の庭6)変更済

(6)  「赤いスイレンとピンクのスイレンのハーモニー」


花の美術館2(水の庭7)変更済

(7)  紫のスイレンは、始めて見て、とても神秘性を感じ、見惚れました。
     青いスイレンとの期待を持って、浜松の”花の芸術”に問い合わせたところ、「熱帯性スイレン」との事でした。  青でなく、紫ですものね。

花の美術館2(水の庭8)変更済

(8)  太鼓橋から反対方向を、撮影。

私は、印象派の絵が大好きで、以前はよく見に行きました。

アメリカの美術館展・フランスの美術館展があったりしたときは・・・。今はなかなか出かけられませんが・・・。

昨日(1日)、三脚を買いに、都内まで出かけました。
三脚は、無事購入。でも、レリーズは最後の1個でした。危なかったです。

時期的に、花火を写す人が多いので、買入される人が多かったそうです。

で、昨夜、Fc2は、メンテナンスのために、管理ページに入れず、

それが、なんと、今日(2日)の午前中その後も、アクセス集中で、入れず、で、やっと入れました。
アドレスが変わったとの事でした。 (2×××年8月6日撮影)

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プロフィール

梅サクラ

Author:梅サクラ
写真で、日本の季節を捉えて、表現。
人物写真も好きです。
報道写真は、以前ある新聞社のクラブに入って勉強。
映画も良く観ます。映画は心の糧。
宜しくお願い致します。

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